内部統制評価におけるリスク特定:経営戦略に沿った網羅的な洗い出しの重要性
はじめに
企業の持続的な成長と信頼性確保において、内部統制は不可欠な経営インフラとなっています。内部統制の有効性を評価するプロセスにおいて、リスク評価は根幹をなす要素であり、その中でも「リスクの特定」は最初の、そして最も重要なステップです。
多くの企業では、内部統制のリスク評価というと、財務報告に係るリスクに焦点が当てられがちです。しかし、経営を取り巻く環境は常に変化しており、サイバーセキュリティ、データプライバシー、サプライチェーンの混乱、気候変動、地政学リスクといった非財務的なリスクが、企業の存続やブランド価値に甚大な影響を与える可能性が高まっています。
経営戦略の達成を確実なものとするためには、これらの広範かつ潜在的なリスクをいかに網羅的に特定できるかが鍵となります。本記事では、経営層の視点から、内部統制評価におけるリスク特定の重要性、経営戦略との関連性、そして網羅的なリスク特定に向けた多角的な視点について解説いたします。リスク評価プロセス全体の妥当性を高め、企業価値向上に繋げるための一助となれば幸いです。
リスク特定とは何か
内部統制におけるリスク特定とは、組織が経営目標の達成を阻害する可能性のある潜在的な脅威や事象を、継続的に識別し、文書化するプロセスを指します。これは単に過去に発生した問題点を洗い出すことではなく、将来発生しうるリスクを予測的に捉える作業を含みます。
財務報告に係る内部統制の文脈では、「重要な虚偽記載を引き起こすリスク」が主な焦点となります。しかし、より広範な内部統制の枠組み(COSOキューブの他の側面など)においては、目標達成を阻害するあらゆるリスク、例えば法規制違反、資産の不正流用、業務効率の著しい低下、競争力の喪失といったリスクも含まれます。
このリスク特定プロセスの質が、その後のリスク分析(発生可能性と影響度の評価)やリスク対応方針の決定、そして内部統制の整備・運用範囲に直接影響を与えます。リスク特定が不十分であれば、重要なリスクに対する統制が手薄になり、内部統制システム全体の有効性が損なわれることになります。したがって、リスク特定は、内部統制評価プロセスの出発点として、極めて高い網羅性と精度が求められます。
経営戦略とリスク特定の関連性
リスク特定は、単に内部統制評価のためだけに実施されるものではありません。これは、企業の経営戦略と不可分に結びついています。
経営戦略とは、企業が設定したビジョンや目標を達成するための道筋を示すものです。この道筋を進む上で、様々な「不確実性」が障害となり得ます。これらの不確実性が現実のものとなった場合に、目標達成を危うくする事象こそが「リスク」に他なりません。
したがって、効果的なリスク特定を行うためには、企業の経営戦略、事業計画、そしてそれらを推進するための主要な業務プロセスを深く理解することが不可欠です。
- 戦略目標とリスク: 新規市場への参入、大型M&Aの実施、デジタルトランスフォーメーションの推進など、戦略目標それぞれに対して、どのようなリスク(例えば、市場リスク、統合リスク、サイバー攻撃リスクなど)が潜んでいるのかを特定する必要があります。
- プロセスとリスク: 戦略を実行するための各業務プロセス(販売、購買、製造、研究開発など)において、どのような事象が発生すれば、財務報告の信頼性、法令遵守、資産保全、業務効率といった内部統制の目的が損なわれる可能性があるのかを特定します。
- 環境変化とリスク: 規制緩和・強化、技術革新、市場構造の変化、社会情勢の変化といった外部環境の変化や、組織再編、新しいITシステムの導入といった内部環境の変化は、新たなリスクを生み出したり、既存リスクの性質を変えたりします。これらの変化をタイムリーに捉え、リスク特定に反映させることが重要です。
このように、リスク特定は経営戦略の「リスクサイド」を明確にする作業であり、戦略の実行可能性を高め、予期せぬ事態による戦略の頓挫を防ぐための、戦略的なプロセスの一部と位置づけるべきです。経営層としては、リスク特定がこれらの戦略的視点から行われているか、そのプロセスが経営戦略と整合しているかを監督する視点を持つことが重要です。
網羅的なリスク特定のための視点
内部統制評価において、リスクを網羅的に特定するためには、様々な角度からのアプローチが必要です。財務報告リスクに加えて、以下のような多岐にわたるリスクを考慮に入れることが、全社的なリスク管理体制の強化に繋がります。
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事業プロセスごとの視点:
- 主要な事業活動(販売、購買、製造、物流、人事、経理、ITなど)の各プロセスフローを詳細に分析し、それぞれのステップで発生しうるリスク(例:誤請求、不正な支払、品質問題、情報漏洩)を特定します。業務担当者へのヒアリングやワークショップを通じて、現場レベルでの潜在的なリスクを吸い上げることが有効です。
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リスクの種類ごとの視点:
- 財務報告リスク: 会計基準の誤適用、評価の誤り、不正な会計処理など、財務諸表の重要な虚偽記載に繋がるリスク。
- オペレーショナルリスク: 業務遂行上の過誤、システム障害、自然災害、設備の故障など、事業継続や効率性に影響を与えるリスク。
- コンプライアンスリスク: 法令、規制、社内規程等への違反により、罰金、訴訟、事業停止等に繋がるリスク。独占禁止法、環境規制、個人情報保護法など、業種や事業内容によって重要な法令は異なります。
- IT・サイバーセキュリティリスク: サイバー攻撃(マルウェア、ランサムウェア等)、システム障害、不正アクセス、データ漏洩、クラウドサービスの利用に伴うリスクなど、IT環境に関連するリスク。DX推進が進む現代において、その重要性は増しています。
- 戦略リスク: 誤った経営判断、市場の変化への対応遅れ、競合の出現、技術革新への追随遅れなど、経営戦略の失敗に繋がるリスク。
- 風評リスク: 不祥事、顧客対応の失敗、SNSでの炎上などにより、企業やブランドの評判が損なわれるリスク。
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組織・システムごとの視点:
- 組織構造、子会社・関連会社、部門間の連携、利用している基幹システムや個別の業務システムなど、組織やシステム構造に起因するリスクも考慮します。
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外部環境変化の視点:
- 経済動向、政治・地政学リスク、技術動向、社会情勢、自然環境の変化などが事業に与える影響を分析し、新たなリスクとして特定します。
これらの多角的な視点から、組織全体としてどのようなリスクが存在しうるのかを漏れなく洗い出すことが、網羅的なリスク特定においては極めて重要です。過去のインシデント、内部監査や外部監査での指摘事項、リスクコンサルタントの知見なども、リスク特定の手掛かりとなります。
リスク特定における課題と留意点
リスク特定プロセスを効果的に進める上では、いくつかの課題と留意点が存在します。
- 「わかっている」リスクの見落とし: 日常業務に溶け込んでいるために、従業員が無意識のうちに軽視してしまっているリスクや、過去に発生したが対策が形骸化しているリスクなどが存在します。定期的なワークショップや外部の視点を取り入れることで、これらの見落としを防ぐ工夫が必要です。
- 新しいリスクへの対応: AI、IoT、ブロックチェーンなどの新技術の導入、新たな働き方(リモートワーク)、ESG(環境・社会・ガバナンス)への関心の高まりなど、企業を取り巻く環境は急速に変化しています。これらの変化に伴い発生する新しいリスク(例:AIの判断ミスによる責任問題、リモートワーク環境での情報セキュリティリスク、サプライチェーンにおける人権リスク)を迅速に特定し、評価に含める必要があります。
- 形式的なリスク特定: チェックリストの穴埋めに終始したり、過去のリスクシナリオを漫然と踏襲したりするだけでは、真に重要なリスクや新しいリスクを見落とす可能性があります。リスク特定は、経営目標や事業プロセス、環境変化を深く理解した上で行われるべき創造的かつ分析的なプロセスです。
- 特定したリスクの粒度: リスクを特定する際の粒度(どの程度細かく定義するか)も重要です。細かすぎると管理が煩雑になり、粗すぎると具体的な統制活動に繋がりにくくなります。これは企業の規模や事業の性質によって最適な粒度が異なりますが、後のリスク評価や統制活動設計の効率性を考慮して設定する必要があります。
経営層としては、リスク特定プロセスがこれらの課題を克服し、実質的かつ網羅的に行われているかを確認することが、評価全体の妥当性を判断する上で重要な視点となります。
経営層がリスク特定プロセスに関与する意義
リスク特定は、実務レベルで担当者が実施することが多いプロセスですが、経営層がこれに関与することには大きな意義があります。
第一に、経営戦略や企業文化、重要な懸念事項といったトップの考えを、リスク特定プロセスに反映させることができます。これにより、特定されるリスクが企業の真の重要課題と整合し、形式的なものになることを防ぎます。
第二に、経営層がリスク特定に関与することで、全社的に重要なリスクに対する認識を高めることができます。特定の部門や担当者だけでは気づきにくい、組織横断的なリスクや、経営レベルで判断すべきリスクの特定が促進されます。
第三に、経営層がリスク特定プロセスの重要性を認識し、適切な資源を配分することで、より専門的かつ網羅的なリスク特定が可能となります。これは、従業員に対してリスク管理の重要性に関する強力なメッセージとなり、組織全体のリスクアウェアネス向上にも繋がります。
経営層は、自らがリスク特定の実務を担う必要はありませんが、リスク特定のプロセス設計に関与し、特定された主要なリスクについて議論を行い、重要なリスクが漏れていないかといった視点からレビューを行うことが望ましいでしょう。
まとめ
内部統制評価におけるリスク特定は、企業の経営目標達成に向けた障害を早期に発見し、適切な対策を講じるための基盤となるプロセスです。財務報告リスクに留まらず、経営戦略と深く関連する多様なリスクを網羅的に、かつ継続的に特定することが、企業のレジリエンス(強靭性)を高める上で不可欠です。
経営層としては、リスク特定プロセスが単なる手続きではなく、経営戦略と連動した戦略的な取り組みとして位置づけられているか、そして変化する事業環境における新たなリスクを捉えられているかという視点から、その妥当性を確認することが求められます。
リスク特定は一度行えば完了するものではなく、経営戦略や外部環境の変化に合わせて常に見直し、更新していく継続的な活動です。この継続的なリスク特定プロセスを通じて、企業は不確実性の高い現代においても、目標達成に向けた確実な歩みを進めることができるでしょう。